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​仏教のコンテ

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​仏教のコンテ

 

 「コンテ」という言葉があります。あまり聞かないかも知れませんが、二つの意味がある。一つは、映画を制作するとき作られるもので、全体の筋(すじ)書きに沿って、配役の動き、時間、画面構成などが記された、撮影台本のことです。元々は、英語のcontinuity(継続性)という言葉の略です。もう一つの意味は、あの、画を描くとき下書きに使うコンテ(人名から)です。四角い棒状で、色は赤、黒、褐色、白の四色あります。

 なぜこんな説明をしたかというと、今日は仏教の全体を、中の重要な「筋道」を考えながら「スケッチ」して見たいからです。時には必要なことで、普段、部分に捕らわれて、案外分かっていない事も多いのですね。

 

  仏教は、釈尊(お釈迦様)が出家された事に始まります。何不自由なく暮らしておられた王子が、ある日郊外で病死した人を見て不安になり、人間の命の真実を知りたくて城を出られた。そして六年間、難行苦行もしたが容易に救いは得られない。疲労の極にある時、同情した娘のくれた乳粥を飲んだ後に、瞑想に入りついに悟りを得られた。

 この釈尊の悟りの内容を整理した、「十二支縁起」という教えがあります。端的に言えば、「老死」の原因を人間の在り方、行動の仕方にたどって行くと、最後は心の奥底に潜む「無明」(根本の無知)に至る。それが「苦」の大元の因であり、その「無明」を自覚する事で、「老死」へ流れる悪循環(流転)を絶つ(還滅)ことが出来る。これが、どんな仏教の中にもある「縁起」の教え(総ての事象は因縁として仮に生起している)です。

 前述のように、「コンテ」は「筋書き」に沿って書かれますが、正にこの縁起の教えは、人間の苦の「筋道」なのです。「苦」の果から因を探れば「流転の道」であり、その因を知ることで「解脱の道」となる。言わば、これは釈尊が観想の果てに描かれた、正覚(悟り)の「筋道のコンテ」なのです。

 また、この仏教の基本である縁起説には、より現実的、具体的な法則に「相依相待」(そうえそうたい)という言葉があります。総ての事象は、互いに因となり果となり、依り支え合っていて、独立した実体はない。これを「空」と言えば、余計難しいのですが、中には私達の日常に潜んでいる、重要な相対(待)の関係がある。

  例えば、まず「身心」の相待(そうだい)がある。つまり、「老死」という「身体」の結果は、「無明」という「心」を原因としている。分けられないが、日常でも均衡を失うと、迷い、ストレスの元となる。言わば人の「業苦」の種類なのです。もう一つ考えれば、「主客(観)」の相待もある。王子は、「老死」を「渇愛(絶えざる欲)」の果ての姿と(見た)のですが、釈尊は、その因を(己自身)の「無明」と知ったのです。この二つの「相待」は、縁起の教えの「筋道」の内容、要素と成っている。表にして、縦を「筋道」とすれば、横の列が「相待」の要素になるのです。

     身心 主客

 縁起  老死 渇愛

(釈尊) 正覚 無明

 ところで、「コンテ」には、もう一つの意味がありました。四色ある画材のコンテです。今日の譬えの延長として、これを「相待」の要素に当てはめるなら、「身心」は(血の色から?)赤のコンテで描き、「主客」は(無明の闇から)黒のコンテで描いてみたい。ところが、画材のコンテには、もう二つ色がありました。褐色と白色は、ここでは余計なものでしょうか。

​ 正覚に達せられた釈尊は、すぐに新たな難題に直面します。それは、この教えは難解であり、他の人々には理解できないという思いです。しかし梵天(古代の神)の「必ず分かる者はおりますので、どうかご説法下さい」という、重ねての願いにようやく決断された。自らが悟った真実を、人々に言葉で語り教えることを始められ、これが現実の仏教の初まりとなった。しかし、この難題は釈尊の悟りに、元から含まれてあったのです。

 つまり縁起の道には、始めから「自他」という相待の関門があったのです。これは「我執」から抜けられない人の迷いの本性ですが、釈尊はそれも正に「相依相待」の関係と、明らかにされた。色を選ぶなら、「自他」の相待は(日に焼けた人肌の?)褐色のコンテで描いてもよいでしょう。

 さらに角度を変えて見れば、ここには「語業」(ごごう・言葉の意志-発言)の相待があると、気付くのです。悟りの様々な修行の果てに、遂に「説(聞)法」という言葉の行が始まった。注目すべきは、縁起の迷いの項目の一つに、「名色(みょうしき)」という語がある事です。これは、人の意識と外界の関係であり(*後述します)、その後の仏教の歴史からしても、重要な原点なのです。「語業」の相待の色は(「告白」「科白」などの「息」から?)白色のコンテで描かねばなりません。結果として、四色総てを要した、これら人間の主要な迷い(業苦)を、「相待のコンテ」と考えるのです。

      身心 主客 自他 語業

 縁起 老死 渇愛 我執 名色

 (釈尊) 正覚 無明 相待 説法

 こうして仏教は、個人の悟りを越えて人々の救済の道となりますが、未だ二つの問題がありました。一つは、どんな弟子や信者が修行をしても、やはり釈尊と同じ悟りは得られないと分かった事。例えば、衆生(普通の人々)にとって、縁起の「渇愛」は、「煩悩」という言葉で理解されました。「煩悩」は人の眼を真実から逸らす(欲)であり、分類により数々の名があるが、基本はたった二つです。

 「執着」は、それらしい名前であり、これは主に「身心」の相待を根に持っています。次の「分別」は、意外の感もありますが、これも煩悩の働きなのであり、主に「主客」の相待から来ています。苦の元であるこれらの煩悩は、外に向かっては、「自他」の相待では瞋恚(しんい-不満、怒り)を、「語業」の相待では愚痴(愚昧-後にその言葉)を、感じているのです。

     身心 主客 自他 語業 

 煩悩 執着 分別 瞋恚 愚痴

 仏教のもう一つの問題は、釈尊の「涅槃(ねはん)」でした。「涅槃」とは「煩悩の炎が吹き消された状態」という意味であり、迷いから覚めた「正覚」の事ですが、同時にそれは肉体の死に他ならない。釈尊は「自灯明 法灯明」(自らと法の真実のみを拠り所に、生きて行け)の言葉を残して亡くなりました。しかし、釈尊の尊顔と肉声に頼って来た人々にとって、仏道を歩むことは、必ずしも容易でなかった。ここで改めて、「法」の真実と、(それを語る者と聞く者の違いを越えて)「命」の意味が問われて来たのです。

 この二つの問題は、述べて来た「相待のコンテ」総ての根底に、初めから潜んでいました。簡単に言えば、それは、普遍不変(空)の「真実」の悟りと、千々に変わり刹那に満足を求める人の「命」の、究極の矛盾とも言えるでしょう。それが改めて、「法」を悟りながら「命」を亡くす釈尊と、「生き」ながら「法」を知る力のない衆生の、救済の課題となったのです。これは裏返せば、永遠に「命」ある仏を求める衆生と、生ある者総ての「真実」を憶う仏の、互いの切実な願望に他なりません。

 その頃、仏教には、同じ「空」の真実から発生した、「回向(えこう)」の思想がありました。「回向」とは、元々(教えの善根功徳を積む)という言葉ですが、それを、他の人々の業苦を和らげる為に振り向ける(文字通り)という意味と、自らの正覚へと成熟させるという意味がある。前者を「方向転換の回向」と呼び、後者は「内容転換の回向」と言われる。そして重要なことは、この二つの「回向」の相互の働きの中で、過去から既に多くの正覚者が居り、時空を越えた諸仏や菩薩の世界(浄土)が開けていると、考えられた事です。

 ここで「菩薩」とは、(縁起が回向として働く)法の真実の中で、一人の衆生を己れの姿と見なし、(他を救うことが自らの救いとなる)志を持つ者のことです。これは、まさに(永遠に命ある仏)の萌芽に他なりません。 

 この頃、浄土教と言われる教えの基礎も敷かれます。衆生の切実な要請に応え、様々な大聖、思想家が現れました。中でも、「空」を、捕らえられない真実(勝義諦)と世俗(言説諦)の戯論と見なし、そのどちらも排する中観の道(中道)を表した龍樹菩薩は、言わば「正覚の人」でした。表で敢えて分ければ、主に「身心」の相待から「主客」を見直し、「自他」と「語業」の(浄土)を開いたのです。一方、総ての対象は意識の生み出した虚妄であり、人の意識の働きに潜むアーラヤ識(空)を、正しく知る(転識得智)事で真実を得るという天親菩薩は、むしろ「無明(解明)の人」である。主に、「主客」の相待から「身心」を見通し、「語業」と「自他」の(称名念仏)に力を与えたのです。

 同時に仏教は、釈尊の「正覚のコンテ」を越えて、大きな「転換」を迎えます。縁起空の真実からすれば、総ては平等であると目覚めた衆生は、より広い(筋道)の「大乗のコンテ」を歩み始める。ここでは、修行中の菩薩と衆生が、互いに「回向」の力を差し向け、成熟し合う事になる。また、日頃の迷い「相待のコンテ」も、より身近な生活の中で生かされ、癒されて行くのです。

 衆生の「身心」の相待は菩薩の「慈悲」に癒され、菩薩も衆生の命を身として「正覚」を深める。また衆生の「主客」は菩薩の「知恵」の光に照らされ、菩薩は「無明」の闇をうち破る力を得る。そして衆生の「自他」は菩薩の「浄土」を知り、菩薩は(他を救うことが救いとなる)「菩薩」の本分を成す。この様な「回向」の力を得て初めて、「語業」に於いて、(法蔵)菩薩の「誓願」の建てられた訳が分かるのです。そして、衆生が「念仏」を唯一の行とした意味を知るのです。

       身心  主客  自他 語業

​ 縁起  老死  渇愛  我執  名色

 (釈尊) 正覚  無明 相待 説法

 回向 慈悲  知恵  菩薩 誓願

 (衆生) 寿命 光明 浄土 称名

     無量 無量 往生 念仏

 釈尊の没後、「仏」の意味は二つに理解されていました。亡くなられた釈尊の「生(色)身」(身心のコンテの反映)と、残された「法」の知恵そのもの、「法身」(主客のコンテ)です。しかし菩薩道の発展と共に、煩悩を生きる衆生に働きかける、より大きな回向の力(自他のコンテ)が必要とされた。即ち、(総ての衆生を救わなければ、私も仏に成ることはない)という誓願を建て、成就する「報身(受用身)」の仏です。これこそ、生あるもの総ての真実を願う、仏の「本願」(語業のコンテ)なのです。

 ところで、「回向」にはもう一つの課題がありました。それは、「仏身」が永遠に命ある仏の姿とすれば、正に、生あるもの総てが歩む真実の道、「仏道」の形でした。大乗の広い白道の中で、(修行)の意味も大きく変わっていた。もはや煩悩を絶つのではなく、その元にある衆生の仏性(真実を願う本性)が、育まれて行くのです。

 「身心」の煩悩を占める「執着」は、「読誦(聞法)」によって解かれ、「主客」の「分別」は「観察(かんざつ)」により調和する。「自他」の「瞋恚」は「礼拝」により「如来」(真実より来る他者)を知り、「語業」の「愚痴」は一転、「称名」が叶う(無量仏)に出会うのです。この様に、衆生の歩むべき仏道が「正行」(善導大師)として開かれた。煩悩はそのままに、仏陀を信心する唯一の行(正定業)が、「称名念仏」であることが示されたのです。

      身心 主客 自他 語業
 煩悩 執着 分別 瞋恚 愚痴
 正行 読誦 観察 礼拝 称名
 仏身 色身 法身 報身 本願

 こうして、究極の難題に見えた「命」と「真実」の矛盾が、奇跡的に、しかし現実的な「浄土」の教えによって救われたかに見える。端的に言えば「浄土」とは、「真実」と「命」の出会いが、安楽と感動を生む事実です。「浄土」を司るのが「南無阿弥陀仏」。仏名の音(あみだ)は、アミターユス(寿命無量)、アミターバ(光明無量)という梵語から採られている。またそれは、「誓願」(総ての衆生が念仏して浄土に往生できなければ、私も仏に成ることはない)を建てた、法蔵菩薩の(命令)の言葉です。「南無」(帰依しなさい)という呼びかけ(親鸞聖人)なのです。何故なら「言葉」こそ、最も回向の働きに相応しい普遍の力を持つ、無二の「大行」であるからです。

 本来、「語業」のコンテは、他の(身心、主客、自他)にない大きな特徴を持っていました。それは総ての業苦を表現、記憶し、更に他者と交感、交換できる事です。この究極の自由の中で、「修行する仏(菩薩)」また「法を説く衆生(同じ菩薩)」という、従来とは逆の能力も開けて来た。だからこそ、法蔵菩薩は(世自在王仏の壮大な如来浄土の中で)誓願を建て、衆生は(覚他の回向を知り)自ら法を説くのです。この両者の出会いの中で、(その名の通り)「南無阿弥陀仏」は常に呼び、語り、言わば(言葉の仏)、即ち(総ての回向の仏)として、この世の生きた仏陀と成り、衆生はその仏の名を呼んで(称名念仏)、真実を知る事ができるのです。

 改めて譬えれば、仏の「寿命無量」が衆生の命(血のコンテ)を繋ぎ、衆生の心(闇のコンテ)は仏の「光明無量」の光で照らされ、「自他」の関係(肌のコンテ)は、そのまま「浄土往生」の土色を描く。「無量」とは、即ち(命と真実の限りない回向)という意味であり、従って、未だ成仏(救済)を誓う「南無阿弥陀仏」は、仏名であると同時に、(私に帰依せよ)という仏の勅命と(お任せします)という衆生の信心の、永遠の対話である。その為に、常に「言行」の行(息のコンテ)は、仏の側では「誓願」という(風)になり、衆生の側からは「称名念仏」という言(葉)となる。そうして、「本願」という(もはや仏凡、自他を越えた)真実が、そのまま現世の「浄土」となるのです。

 

​ この様な教えがどうして可能かと言えば、やはり縁起の法が総てを支えている。人間の心理や行動、能力や努力の有無、悟りを得た者の思いや願い、更に生死の別をも越えて、総ては因縁であり、それ自体は「空」である。顧みれば仏教も、内外の危機や存亡を懸けた長い歴史を経ている。しかしこの今に、時空を越えて伝わって来ている事、それ自体が一つの掛替えのない「回向」として、意義と力を証明している。従って、現代人の不安も仏の知恵も、どんなに難題であろうと、互いの言葉(回向)が、変わらぬ(人間の命の真実に)出会いさえすれば、何時でも、安楽と確信の日常が開けて来る。

 そして見て来たように、仏教の教義、歴史(筋道のコンテ)、人間の業苦の種類、性質(相待のコンテ)の総てが重なり合い、響き合っているのが、「称名念仏」の易行なのです。その代表的な「南無阿弥陀仏」が、唯一無二の浄土の教えの中で、如何に意義深く、利益あり、重要なものかが分かる。

 だから、それを最後に、「仏教のコンテ」と呼びたい。今は、誰が本当に道を作るのか、どの色で描くのかが、日々に問われているのです。

 

  *蛇足ながら別個に、「語業の相待」の「筋道」だけ、具体例として付け加えて於きます。釈尊の縁起説の「名色」は、「名(意識作用)」と「色(肉体)」の構造であり、「身心」の相待を示すが、同時に人間の意識(心)と行動(行)の動機(表象作用)として、「言葉」に深く係わっている。それ故に「語業の相待」の原点を成し、​次の(説法は可能か)という難題に繋がって行きます。空の思想と大乗の発展に依って、解決されたかに見えますが、根本は変わらず、回向の知恵を必要としたのです。

            語業

      縁起  名色

      (菩薩)  説法

      回向  誓願

      (衆生) 称名

           念仏

  つまり、「方向転換の回向」で衆生を救い、同時に「内容転換の回向」で自ら正覚する菩薩と、同じく(其々逆の)回向で、現世で浄土に生まれ、菩薩の成仏を助ける衆生は、最良の関係ですが、(縁起の実体からすれば)、それだけでは不変の「真実」の保証はない。だからこそ、菩薩は、絶対(先験)的な真実を司る「世自在王仏」の前で、「誓願」を建てる(言葉から行動を恵む)のです。また衆生は、自らの命を懸けて、阿弥陀仏の名を呼ぶ(行動から言葉を信じる)のです。こうして、より大きな真実の世界(浄土)に開かれる「大行」が、言葉というものの持つ本質的な働き(無量-アミタ)として、縁起の教えに初めから含まれていた。

 即ち「称(名)念仏」の究極の意義は、「(名)色」の働きから来ている事を、知らされるのです。   (令和二年八月   暁烏照夫)

  

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